Vol. 03
特集「登録5周年 縄文世界遺産」
「しなやかな強さ」は 縄文人の生き抜く力(中編) / 縄文人の生活の営み
2026.08.28
人は自然の一部であり、気候変動に合わせてライフスタイルを変えながら命をつないでいく――。そうした「しなやかな強さ」が、縄文時代の人々の生き抜く力といえます。
2021年7月、「北海道・北東北の縄文遺跡群」が世界遺産に登録されてから今年で5周年。これを機に、当時の人々がどのように気候変動に適応し、生活様式を発展させていったかを一緒にたどってみましょう。
環境に適応して集落が変化
縄文時代とは約1万5,000年前~約2,400年前のことを指します。この間、大きな気候変動があったにもかかわらず、縄文文化が1万年以上も続いた背景には、豊かな森や海、川など恵まれた自然環境が集落の周辺にあったためだと考えられています。
縄文時代の最大の特徴は、定住生活を実現したことです。定住生活は今では当たり前ととらえがちですが、縄文時代以前は氷期にあたり、バイソンなど大型の草食動物を追いながら移動生活をしていた時代のほうが長かったのです。
では、縄文時代を3つに分けて、その変遷を見てみましょう(図参照)。
「ステージⅠ」の時代には、氷期から温暖期へと気候が移り変わっていく中、縄文人は土器という画期的な道具を使い、定住への一歩を踏み出しました。サケ・マスなどが遡上する河川の流域に小さな拠点を構え、後半には、複数の竪穴建物が作られ、集落が形成されます。
「ステージⅡ」の時代には、気候が安定したことでブナやナラなどの森が広がり、木の実や山菜などの採集が盛んになりました。また、漁労も発達し、貝塚が作られるようになります。この時代に拠点的な集落が生まれ、盛土遺構(土器片や石器などの送り場)や環状列石(ストーンサークル)など祈りの場が作られました。
集落を維持するためには、食料を確保すること、それらを加工・保存すること、食べた後の貝の殻、魚や動物の骨などを廃棄するしくみが必要です。貝塚では、それらを廃棄するときに、感謝の気持ちで祭祀も行っていたようです。
「ステージⅢ」の前半では、気候の寒冷化に直面しますが、自然に逆らうことなく、集落を小さく分散させて定住生活を維持しました。また、後半には共同墓地を発達させるなど、精神文化を醸成させ社会を成熟させていきました。
縄文時代は、狩猟・漁労・採集を生活の基本としながら、自然を大きく変えることなく、長期間にわたり定住生活を実現したところが、他の先史文化にはない固有の価値といえます。
北海道・北東北の縄文遺跡群って?
北海道、青森県、岩手県、秋田県にまたがる「北海道・北東北の縄文遺跡群」は、豊かな自然の恵みを受けながら、1 万年以上にわたって採集・漁労・狩猟によって定住した縄文時代の人々の生活と精神文化をいまに伝える貴重な文化遺産です。
その価値が認められ、2021年7 月27 日、北海道・北東北の縄文遺跡群は、世界遺産に登録されました。
遺跡群を構成する道内の遺跡は、垣ノ島遺跡(函館市)、北黄金遺跡(伊達市)、大船遺跡(函館市)、入江貝塚(洞爺湖町)、キウス周堤墓群(千歳市)、高砂貝塚(洞爺湖町)の6つです。また、関連する遺跡(関連資産)として、鷲ノ木遺跡(森町)があります。
詳しくは、下記のサイトをご覧ください。
「登録5周年 縄文世界遺産」ウェブサイトリンク(北海道縄文世界遺産推進室)
自然に感謝しながら生きた
縄文人は「生活の達人」
縄文時代には、人は人以外の動物・植物などの自然の命に支えられて生きており、「自然を敬い感謝する」という感覚が基本にありました。
人の生活が自然の大きな循環システムの上に成り立っているという自然観を土台として、縄文人の豊かな精神性が育まれていったと考えられます。
さらに縄文人は、気候や自然条件の変化に合わせて生活様式をしなやかに適応させる「環境変化に強い人々」でした。
狩猟・採集・漁労を中心に約1万年を超える定住生活を存続することができたのは、日本列島の多様で豊かな生物生態系と、縄文人の優れた環境適応力があったからだといえます。
北海道縄文世界遺産推進室
特別研究員
- 阿部
- 千春
次の記事を読む
「しなやかな強さ」は 縄文人の生き抜く力(後編) / 生活の知恵
COMING SOON
他の記事を見る
Share
記事を共有する
-
LINEで送る
-
Xでポストする
-
Facebookで
シェア -
URLを
コピーする