Vol. 03
特集「登録5周年 縄文世界遺産」
縄文デザインは、エモくて新しい (中編) / 生活技術の達人たち
2026.08.28
1万年以上もの間、独自の生活文化を存続させた縄文の人々。その卓越した暮らし方は、生活道具の多彩さや、遠く離れた地域との交易の歴史にも鮮やかに表れています。
2026年は「北海道・北東北の縄文遺跡群」の世界遺産登録5周年。この節目に、縄文人の暮らしを支えた道具や技術などに焦点を当て、その概要を見てみましょう。
採集・狩猟・漁労技術の確立
縄文人の暮らしは、採集・漁労・狩猟が中心となっています。
採集については、土器が発明され、木の実や山菜などを煮炊きして食べるようになりました。縄文土器は約1万5,000年前には作られており、世界的にみても最古級のものといえます。
狩猟については、氷期が終わってバイソンなどの大型草食動物が絶滅すると、シカなどの中型の動物や空を飛ぶ鳥などを狙う「弓矢」が普及していきます。
漁労については、シカ角で作った釣り針、大型のイルカなどを獲る銛(もり)、イワシなどの小魚をたくさん獲るための漁網の錘(おもり)などが出土しています。縄文時代に、現代の漁業技術の原形が確立されていたことにも驚かされます。
これ以外にも、手に入りやすい植物や樹皮を巧みに利用し、編み物や布状の製品を作り上げる技術も発達しました。
過酷な寒さや季節の移り変わりを乗り越えるため、植物繊維を使った衣類や履物、縄文土器の底に見られるような精緻な編み細工の痕跡などから、自然の素材を巧みに生かした高度な生活技術がうかがえます。
遠方との交易とネットワーク
縄文社会は自給自足だけの集落ではありませんでした。北海道・北東北の縄文遺跡群からは、遠く離れた地域との交易の歴史がしっかりと裏づけられています。
例えば、石やじりやナイフなど狩猟の道具の素材となる黒曜石は、北海道の白滝や置戸で採れた石が、海を越えて本州の遺跡にも広く行き渡っていました。また、勾玉(まがたま)などのアクセサリーにしていたヒスイは、新潟県糸魚川周辺で採れた石が日本中に運ばれていました。
こうした交易には、漁労などに使われる丸木舟が移動手段となり、地域を越えたモノや情報、人々を結ぶネットワークが存在したと考えられています。モノだけでなく、精神文化や技術も交易を通じて共有され、縄文社会全体の結びつきを強める大きな原動力となっていたに違いありません。
北海道・北東北の縄文遺跡群って?
北海道、青森県、岩手県、秋田県にまたがる「北海道・北東北の縄文遺跡群」は、豊かな自然の恵みを受けながら、1 万年以上にわたって採集・漁労・狩猟によって定住した縄文時代の人々の生活と精神文化をいまに伝える貴重な文化遺産です。
その価値が認められ、2021年7 月27 日、北海道・北東北の縄文遺跡群は、世界遺産に登録されました。
遺跡群を構成する道内の遺跡は、垣ノ島遺跡(函館市)、北黄金遺跡(伊達市)、大船遺跡(函館市)、入江貝塚(洞爺湖町)、キウス周堤墓群(千歳市)、高砂貝塚(洞爺湖町)の6つです。また、関連する遺跡(関連資産)として、鷲ノ木遺跡(森町)があります。
詳しくは、下記のサイトをご覧ください。
「登録5周年 縄文世界遺産」ウェブサイトリンク(北海道縄文世界遺産推進室)
目に見えない価値を
感じ取ることができます
縄文文化の価値は、荘厳な建造物とは違い、目に見えるものではなく、心で感じるものです。画家のパウル・クレーが「芸術とは見えないものを見えるようにすること」言っていますが、私はそこにアートの可能性があると思います。
現代人にとっての縄文も、縄文の人々が自然との関係性の中で形にした「目に見えない価値」を感じ取る手段といえます。表現の背後にある高い精神性や技術力、身体知のすばらしさをきっと感じてもらえると思います。
北海道縄文世界遺産推進室
特別研究員
- 阿部
- 千春
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